プロの店じまい

行きつけのクリーニング屋さんが閉店した。この年齢になると身体がヨレヨレしてくるので、パリッと仕上がった洋服に助けられて何とか世間に通用しているようなものなので、これは痛手だ。このクリーニング屋さんとは、お客としてだけでなく、ご近所仲間として味噌や醤油の貸し借りまでしている仲だから付き合いがなくなるわけではないが、プロのクリーニング業としてこれほどの店はそうないので、困っている。
 10年位前、この街に引越して来て、最初に洗濯物を持って行った時、そこのお上さんが、
 「あなた、猫を飼っているのね」
と私に言う。猫を飼っているなんてな~にもも言っていないのに何故分かったのだろうと思っていると、私のスーツに白い猫の毛が1本ついているのを見逃さなかったのだ。(この人はプロだな)と思って、それ以来クリーニングはこの店と決めて、お付き合が始まった。 いろいろなお客さんが洋服を持ってくるわけだから、当たり前と言えば当り前なのだろうが、ファッションブランド名なら私よりも詳しい。「このブランドはパリッと仕上げないで、生地の重さや風合いを大事に仕上げた方がいいのよね」なんて聞くのは毎度のこと。洗濯業という仕事に誇りを持っているから、客に対しても難しい注文がでる。今となっては、丁々発止のやりとりが懐かしい。
「鈴木さんはいい洋服着ているんだから、もっと洋服を大事に着てください」とか
「こんな洗濯できないようなマークが付いている洋服は買わないで下さい」とか‥。
ある時、あまりにも私が食べこぼしたシミの付いた洋服をそのクリーニング屋さんへ持って行くので、さすがに呆れたらしく
「あまりにも食べこぼしシミが多いので、食事をするときにはこれを使ってください」
とわざわざ私用の「よだれかけ」を作って渡された事もある。また、いつぞやはシミのついた洋服をだしたが、なかなか戻って来ないので、
「まだ出来ないの?」と催促すると
「一度洗ってみたけど、汚れが落ちないのでもう一度別の方法で洗ってみるので、もう少し待って欲しい」
「そんなに気を使わなくていいのに」と返すと
「汚れたままで返すのはプロとして気がすまいない」と言ってずいぶん待ったこともあった。 
 さらにある時は、気にいったオレンジ色のシャツの胸元を安全ピンで留めたままクリーニングに出したら、オレンジ色の糸で、胸開きゾーンを浅く縫って戻してくれた。そういう時は「安全ピンで留めていたら危ないから縫っておいたわよ」などとは言わない。普段からボタンや糸のほつれなどを直してくれていたが、しばらく気が付かなくて、お礼を言うのが遅くなってしまたが、本当に感動した。こういうサービスは私だけにしていた事ではないから、頭が下がる。
 閉店するときも、半年前から告知し、預かっている洗濯物全部をお客さまが取りにくるまで、さらに半年かけて店じまいし、先月末、築50年の店を取り壊した。夫婦で休みなく働いてきて定年を迎える年齢になったこともあるが、職人さんたちが一人減り、また一人減りといなくなってしまって、もう職人さんたちがいないから、続けられないというのが最大の理由だ。
私だけでなく遠くからわざわざこの店に洗濯物を持ってきていたお客たちが、こぞって「辞めないで」コールを送ったが、職人さんがいなくては続けられないので、惜しまれての閉店。見事な終い方だと思う。
 こういうプロがいなくなってしまうのは、本当に残念なことだ。長い間お疲れ様でした。