9)第三 都市と市民社会形成

第三 都市と市民社会形成

この言葉は、わが国では、学問の世界においても無雑作に使われている。都市の未来像を語るには、市民社会とは何かを明らかにする必要がある。当然それは「市民とは何か」の問いから始まる。しかし、その以前に、わが国の都市研究者を含めて、都市を構成する人間の呼称について十分な認識をもっていない。それを正しく理解することは、現在の都市の認識を変えることにもなる。

一 人口・住民・家族の変化

現在都市研究の基礎としてとりあげられているのは、人口・住民・家族である。しかし、一方では“都市化”という言葉を使いながら、これらの言葉の内容が、現実に都市現象の要因として変わっていることを知らない。

第一に、わが国ばかりではない。世界の大都市といわれる地域には、人口の集中が激しい。しかし都市の範域は、その増加と相関しない。

この点では、アメリカや英国などでは“標準都市地区制”―Standard Metropolitan Area-の方法で、行政区画とは別に、若干の“都市化の指標”によって、現実の都市と見なされる地域を設定して使用する。

わが国でも、戦後内閣の統計局でその研究が行われ、われわれもそれに参加したが、行政区画の変更は、“選挙区域”にかかわるとして以来触れられていない。

以上の点は、府県と大都市との関係にも影響する。府の範域の小さい大阪府では大阪市が、たとえ“指標による範域”でも、現在以上に拡大することは府としては好まない。

その傾向を都市の中心地域でとられようとしたのが、国勢調査による“中心地域の人口密度”の計量である。しかしこの方法は、別に指摘するような事情も加わって、その効果を失いつつある。

第二は、都市が大きくなってくると、住民台帳に登録しない“無籍人口”が多くなる。それは“似非住民”ともいうべきもので、この現実は、国調人口と人口格差以上のものがある。こうなると、人口と共に住民を日本の現実を示す指標として使用するには条件が必要となる。

第三は、家族である。最近ではこの家族関係が必ずしも明確でないので、現実に共同生活を営んでいるものを“世帯”という概念でとらえている。たしかに経済的視点からすれば、世帯は家族関係より明らかである。しかしそれが、行政の立場から納税の対象としてとらえられるようになると、世帯もまた“似非”的なものとなる。現実には同一の世帯を営みながら世帯を分離・分割しているものが多い。

これに対して、家族の方は、一般の“核現象”-子供の数を最小限度にする-が著しいことはいうまでもない。しかし、都市生活の核化傾向は、家族構成の員数ではなく、家族である世帯を構成しているものが、さらに機能的に分化・分裂することである。

日本の社会では、それまで、職業といえば“生涯”のもの、それに職場の“転勤”などはほとんど見られなかった。それが次第に、住居・家族・世帯までを形成的なものとして放置し、現実は、転勤した都市で単身で数年を過ごすものさえある。おそらくこの傾向は、東京・大阪等の大都市を中心にして急速に高まることは間違いない。

以上のように考えてくると、都市の実態はわれわれがとらえているものとは、かなり異なったものとして存在していることが分かる。未来の都市の想定は、“バベルの塔”であってはならない。何等かの指標による都市概念の確立が必要なのである。