14-15) 二 都市コミュニティの変容、三 コミュニティとしての職場

二 都市コミュニティの変容

人間が定住とか定着とかというと、動物が巣をつくるように、一定のところに生活を集中するかというと必ずしもそうではない。動物でもその巣を中心に、生活する行動の範囲が定まってくる。

私は旅行してホテルなどに泊まる。チェック・インしてすぐ部屋に入らない。ロビーを見て廻るだけではない。ホテルを出て、その周辺を一廻りする。ホテル以外に、角にドラッグ・ストアがあり、煙草屋があるなどを認識する。それはたとえ一日の宿泊であっても、その居る場所の範囲を点から面に拡大する。それは生活を安定させる要件である。

人間は、前段で述べたコミュニティの原則を、以上の環境構築に利用する。

第一に、人間の共同生活のシンボルとなるものに、神社や仏閣がある。なぜ寺院が高い五重の塔まで建てるのか?教会が高く十字架を掲げるのか。いずれも、それを直接“見る”ことによって、その構造物を自分の生活圏のなかに取り入れるのである。私がホテルの廻りを“見て廻る”のも同じ理論となる。

第二は、仏閣や神社等では必ず鐘を鳴らす。鐘の音は、かなり広い範囲に伝わる。その音を聞けば、今お寺では勤行が行われ、教会ではミサが始まったという意識が湧いてくる。共同体意識形成の原点となる。

第三に、人間は歩くことで、生活の範囲を決める。コミュニティの形成は“歩行者天国”が原則となる。

最近都市の社会は、ほとんど交通機関のネットワークで構成される。その限界は、歩行者を“地獄”に陥れる状態になりつつある。それだからこそ、地獄化の元兇である交通機関の通行を“停止”する。そうなると“天国が蘇ってくる”とうのである。

以上のように、人間はその居住を中心にしながら生活の範囲を拡大して行く。

三 コミュニティとしての職場

人間生活は、「神は農村を、人間は都市を造る」という言葉にも見られるように、都市生活は、農村が土地という自然を相手にするのと違って、人間が人間を相手にする生活である。その空間は、はじめは居住する場所に限られるが、次第に拡大し、やがては職場と居住とは別になる。この職場の変容は、都市の形成に影響する。

第一は、家内産業といわれる。住居と職場が同じ状態の都市である。わが国の中小企業の多くはこの姿である。とくに“商業”はその職場の名称を“屋号”とし、出身・出生の地域の名をつける。尾張屋、武藏屋、上総屋等々がそれを表している。この段階でのコミュニティを動かすのは“町人”“商人”が多い。

第二は、おなじように家内産業であるが、その規模がやや拡大し、職場内に外部からの人間も居住するようになる。“町工場”のシステムによるものが多かった。

町工場は、家内産業とはちがって、若干の機械を使用する。しかしそれはあくまでも、人間優位の状態の機械作業である。この段階でのコミュニティ・リーダーには、町工場主が加わってくる。

第三は、職場が住居から分離して発展するだけでなく、職場が主体となって外部から定着する傾向である。職場主導型のコミュニティとなる。

最近わが国の都市形成は、急速にこの型となり、地方都市は争って“工場誘致”という政策をとり入れるようになった。それは、かつては農業国といわれた日本が工業国に変わり、日本列島そのものが“工場化”しつつあるといわれるなかでは、当然の傾向ともいえる。

しかしその反面においては、伝統的なコミュニティ形成が大きく変容しつつあることには、必ずしも十分な関心をもったとはいえないのである。

「磯村英一都市論集III-IX日本の都市社会の未来像」より抜粋

「磯村英一都市論集III-VIII 人間回復のまちづくり理論」.pdf