ここは、危険なワンダーランド!
こんな近くに骨董通りがあったなんて、「灯台下暗し」とはこのことだ。ひょんな事から知人と骨董の話になって、京橋から日本橋にかけて昭和通りを一本入った所に「骨董通り」というのがあるのを知った。東京で骨董といえば、青山の「骨董通り」が発生の地だと思っていたが、あちらは中島誠之助さんが命名したと言われている位だから、そんなに歴史のある通りであるはずがない。何故気が付かなかったものかと口惜しい想いもするが、考えようによっては、バブル時期に知らなくてよかった‥。
まあとにかくせっかくだから、期待に胸膨らませ、やや緊張しながら、まずは鍛冶橋通りから「骨董通り」入ってみる。1ブロックもしない内にあの「繭山龍泉堂」の威厳ある洒落た店を発見!
ウィンドウにはたぶん?唐の時代のものだと思われる壷と美人像が展示されていて、しばし目を奪われる。店内には宋、明、高句麗代の皿や瓶、壷などが展示されていてここには展示品ごとに銘と価格の表示がある。店内へ入ると店奥から清々しい若い男性(要するにイケメン)が出てきて、じっとこちらの挙動を伺っている。ウィンドウの展示品について尋ねてみたかったけど、声がかけ難い雰囲気なのであきらめ、店を出た。やはりここは本物だあ~。
それから「五月堂」「吉平美術館」「飯沼緑心堂」「松森美術館」そしてトリは「壺中居」、と観て回って目の保養をさせていただく。「壺中居」店内3Fにはあの会津八一氏の書いた看板もかけてあって、この看板を会津氏に書いてもらったがゆえに、魯山人が来なくなったといういわれつきのもの。
骨董とは、使っても良し、鑑賞しても良しという品物だとすると、この通りは「古美術通り」と言った方が的確かもしれない。係りの人(明治の頃なら丁稚さん、小僧さんと呼ばれたであろう若い人)も気さくに声をかけてくれる店があるかと思うと、珍客にジロリとも目線を馳せない店もあり、なかなかスリリングでミステリアスな雰囲気を楽しめる。しかも何かを我慢すれば、私にでも買えるお宝が目の前にあるのだから、ここは危険なワンダーランドだ!観るだけと心に決めて散策に出たつもりだったが、後二条天皇筆による「新古今和歌集」切などを観てしまうとやっぱり欲しくなる。一晩寝たら忘れるだろうと思っても、翌日また気にかかる。こんなお手本を机上においてかな書の練習をしたら上手になるかしらん等というスケベエ根性が出てきて、ちょっとやばい。ここを我が危険地域指定にして、近寄らないようにしたいものだが‥、う~む、久しぶりに物欲を掻き立てられ、ちょっと困ったものだ。