母のこと

私の母は、小学校もろくに通えないほど、苦労して育った人でした。私が上京してから母と何回か手紙のやりとりをしましたが、それはいつもカタカナばかりで書かれていました。
私が、小学校へ入って間もない頃だったと思います。その頃の子どもには、しっかり家事分担が割り当てられていて、私の仕事はご飯を炊く事でした。ある時台所でお米をといでいたら、それを見ていた母に、物凄い剣幕で怒られました。それはしつけとして叱るというようなものではなく、まさに烈火の如く怒られたといった経験でした。手首を使ってシャキシャキと音がでるように研ぎ、一つの米粒も無駄にしないように・・・。いいかげんだったんでしょうね。それが出来なくて、何度やり直しても許してくれず泣きながら米をといだ記憶があります。
その後ずーっと大人になっても、あの時何故あんなにも怒られたのか分からないまま、母は17年前に他界しました。
震災から1ヶ月、何故かその時の事が、何度も心をよぎります。母に怒られながら米をといだ事を・・・。忘れていた思い出が、ふっとした時に深い記憶の底から湧きあがって来るのが、不思議でなりません。
どんな人にとってもお母さんはたった1人の特別な人。百人いれば百様の「母」がおり、そういう唯一無二の「母」が何千、何万、何億と今、日本の地の底から私たちを支えているのかもしれません。
5月8日は母の日。
私も、このGW、北茨城市の山裾で眠る母のもとへ行って、この大震災の事を話してみようと思っています。
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