花眼の年齢
中国では老眼の事を「花眼」というらしい。俳人 森 澄雄さんから学んだ言葉。
数年前から手元が見えにくくなって、老眼鏡をあつらえた時の心細さは、今でも忘れられない。それ以降心細さは年々気弱さを増長させ自信喪失の日々を呼び込んでくるようになったある日、この「花眼」という言葉と出会った。
森澄雄さんがいうには、中国では「老眼」になって手元が見えなくなる頃は、道端の名もない草花の美しさやしなやかさが見えるような年齢になるというような事を書いておられた。その頃を「花眼の年齢」というのだそうだ。この二文字で世界がぱ~っと反転したような気分になった事を覚えている。
折しも実家の姉が、庭に咲く菜の花を沢山送ってきた。「菜の花」と言えばこの頃はスーパーで見かける食用のものしか目にしないようになっていたが、野の花は違う。野趣があって、淡い黄色の花びらを軽やかに咲かせる美しさは、まさに「花眼の年齢」になればこその鑑賞眼。
道端に咲く小さな野草の花にも、思わず足が止まるこの頃。季節が廻れば必ず誰に見せるともなく咲く、自然草の強さやつつましい生の営みに心洗われる。失うものばかりでなく、新たな気づきをもたらしてくれる加齢という進化は、私の老齢期を新たな光で満たしつつある。