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4)三 人間回復のまちづくり

三 人間回復のまちづくり

あえて、ここに“人間回復のまちづくり”などというのは、自らの生活の体験がその発想につながる。

(一)生活体験からの発想

私の大学生活は、大正十二年四月に始まる。その年の九月一日、私の生地であり、生成の場でもある東京は、大地震につづく火災のために焦土となる。大学ももちろん焼失、焼跡に建てられたバラックの教室では満足な講義は行われなかった。そこで社会調査を専門としている友人達とつくったのが“東大セツルメント”。今日の江東地区、当時は、本所と呼ばれた地区にバラックを建て、罹災地の住民の生活援護や子供達の学習指導などに当たった。

このセツルメント・アイディアは、アメリカ第二の大都市シカゴの黒人地区に、住民の生活向上、環境改善のための福祉の拠点としてつくられたものによる。その名は、寄付者の名をとって、“ハル・ハウス”と呼ばれ、黒人の地域改善のセンターとして世界的に知られていた。

その政策の特徴は、住民に接触するものは必ずハウスに“居住”して地区の人びとと生活を共にすることだった。本所につくられたセツルメントも、その伝統に従って、われわれは、“セツラー”として宿泊し、時には罹災者のバラックにも泊まって生活を共にした。

焼跡の整理などというと簡単なようであるが、住居を中心にしてあらゆる権利義務が錯綜し、難しいことが多い。しかし若いけれども寝食を共にした学生の助言には案外納得する。関東大震災のあと、東京の下町地区の区画整理が比較的早く実現したのにはこのような背景があった。

そして私は、ここで社会調査の技術(それは単に机上の空論ではない)を身につけて、東京市の復興のための職員となる。そこで学んだのは、社会福祉がほんとうに人間の再建に役立つには行政技術を超えた人間関係、人間信頼が必要だということである。

市の社会局に一人の先輩がいた。その名は草間八十雄。文筆で立つ人だったが、文字通りの足で書くジャーナリスト。私は東京の浅草の浅草寺の境内へつれていかれ、本堂の軒下に宿っている“ライ患者”に面接する。もちろん社会調査という仕事の一端でもある。しかし草間は、いろいろな話をきく前に、患者達に煙草を配る。そして喜んで手を握ろうとする。その手は病気でゆがんでおり、ち血さえにじんでいる。草間は何のためらいもなく手を握った。そして“お前も握ってやれ、喜ぶよ”といわれた。

この瞬間を私は一生忘れない。社会問題に関心をもつ者として当然私の手は患者と結ばれたのである。草間はあとで、それこそ社会問題を口にすることができると語ってくれた。

こんな体験は、その後三十余年たって、私が改めて東京都で民生局の責任者となって働くときにも、そして再び東京を焦土として戦後の福祉の実践のなかでも役に立つ。

(二)同和地区のまちづくり

都市問題のなかでも、社会病理に関心をもちつづけた私にとって、その対象は国内スラム・ドヤ地区等だけではない。数十回をこえる海外の都市への出張のなかで、必ずその都市の“底辺の社会”を記録している。未来の都市のシンボルといわれるブラジルの首都ブラジリアの周辺に、スラムがあることなどほとんど知られていない。パリのノートルダム寺院の近くにもそれがある。東南アジアの多くの都市などあげれば限りがない。

こんな経験からして、わが国の“同和地区”に関心をもちつづけたことは当然といえる。それは戦前から戦後とつづき現在でも変わらない。したがってその行政だけでなく民間もふくめて対策を知っている。政府が三度にわたって法律を変えながらその解消・解放に努めていることも分かる。

しかしその行政施策、とくに地域改善に決定的な問題がある。

それは、同和地区の改善は、法律の名は「地域改善対策」であっても、内容は、人間回復の課題だという点である。この小文のはじめに、私はまちづくりには、構造と組織と人間という側面があると述べた。構造の改革という点では行政は優れた技術・方法をもっている。それにもかかわらず事業の進展にバラつきのあるのは、同和対策としての組織と人間の問題に欠点がみられるからである。

行政は技術であることは知っている。しかし最近、行政自体も、住民との対話とか参加を方法としてとり入れている。その面からすると同和行政においての組織づくり、人間づくりは決して十分とはいえない。否その前提として、同和問題そのものに対しての認識が欠けている。今日まで、道路建設に従事した職員が、直ちに同和地区の道路整備に従事することは絶対に難しい。

重要なのは、地区の住民との意識的・人間的な接触である。日本のまちづくりのなかで、もっとも先進的な事例は、同和地区の改善事業である。それは地区の人びとを改めて人間という視点から発想して、環境の改善を実現することだからである。(一九八五年三月発表)

「磯村英一都市論集III」-「人間回復のまちづくり理論」より