3)二 ふるさとづくりの原点

二 ふるさとづくりの原点

最近まちづくりを“ふるさとづくり”といい換える。現に東京都の二十一世紀へのまちづくりのイメージは“ふるさとと呼べる町”といわれる。そして理想は“自然の美しさ”を守ることで、“緑と水と空の美しさ”にそれを求める。まちづくりのなかに”自然“を求めた点でユニークである。二〇世紀の中で、わずか二〇年の間隔で、二度も災害―一つは震災、もう一つは戦災―を受けて文字通りの焦土から、不死鳥のように超高層ビルをつくったのは、まさに”構造優先の論理“であった。しかし”ふるさと“は、必ずしも、自然の美しさへの”回帰“だけではない。

(一)ふるさとは自然だけではない

ふるさとは、この生まれた家、育ったところを語ることにためらいを感じるようであれば、たとえ自然がどのように美しい景観であっても、それを“ふるさと”とよぶことにためらいを持つ。日本の“まち”には、このふるさとを高らかに呼ぶことのできない地域のあることを残念ながら指摘せざるをえない。

まちには、生活条件を異にする無数の人間がいると同時に、その住む構築の状態も様々である。石造りの高い塀に囲まれた豪邸もあれば、不良住宅といわれる住まいもある。不良住宅の密集はスラムといわれて、まちづくりの対象となる。しかし同じようにスラム的な状態をもっていても、条件を異にする地域がある。「同和地区」「未解放部落」「被差別地区」といわれるところである。

私が、まちづくりを人権回復の面から論じようとすれば、長い間まちづくりの底辺のなかで、スラムと同じような”技術的“な扱いでとりあげられてきた、同和地区を問題とせざるをえない。それは、構造の改善だけでは、断じてふるさとと呼べない地域だからである。

(二)スラムと同和地区とのちがい

現在「地域改善対策特別措置法」の対象として、環境改善がとりあげられている。明らかに「同和地区」の対策である。その実施となると、主として住宅環境の改善が中心となる。具体的には、住宅地区改良事業と方法論的には一致している。

しかし、同和対策としての地区改善は、地対法の前提である同和対策事業特別措置法が実施されたときから、すでに十五年がすぎている。部分的には、地区改善が実現しているところもあるが、大都市で、しかも“同和地区”として世間に知られている地域であって事業の進展が遅々としているところもいくつかある。

第三者的にみれば、事業として指定されてからどうして進捗しないのか、という疑問も生まれ、結果的には行政の怠慢という声さえ聞かれる。私はここに、改善技術はあっても、改善の理念に欠けることが原因をつくっているというのである。スラムと同和地区とを同じに見るという欠点である。

いろいろな面が指摘されるが、もっと端的にいえるのは、スラムは居住する人間が一般的にいって“一世代”である。それに対して、同和地区は“何世代”であるというちがいである。

このことは、同じ定住性でも、その土地への執着性、連帯性は、スラムに比して同和地区の方が極めて強いということである。別の表現をすれば、地区の改善によって、スラムの場合は住居を変えることができるが、同和地区の場合には、ほとんどそれが不可能である。

住まいだけではない。職業についても同和地区には長い伝統がある。スラムの場合はいろいろな新しい職場の導入によって生活を維持することができるが、同和地区では、生活そのものの変化が難しい。同和地区の形成は、そこに定着して移動しないことに生活の根拠があったし、そのような伝統は今日でも変わっていない。

都市計画のなかで、不良住宅地区の改善対策は、景観的には同じように見える同和地区の改善に対して必ずしも特別な配慮・方法―それは技術的な面も含めて―を実施していない。いわば変化そのものに抵抗する伝統意識に対して、全く無策で、環境の変化を要求する。たとえそれが生活水準の向上につながるものであっても、地区の形成が長ければそれだけ特別な対策を必要とするのである。