14) 第四 都市と地域社会の理論-都市コミュニティの原則

第四 都市と地域社会の理論

一 都市コミュニティの原則

日本の都市研究のなかで、あまりにも不用意に使用される言葉に“コミュニティ”がある。本来は社会学が、その地域空間の機能的なちがいを指標にして、“ソサイアティ”に対立する言葉として使った。前者を“共同社会”といえば、後者は“利益社会”である。しかし、このような原点的な理解は次第にあいまいとなって、今日では、一般の“地域社会”に対しての理解とする向きが多い。しかし欧米、とくに、ヨーロッパでは、多数の国の“連帯”を、“欧州コミュニティ”と呼ぶ。そうなると、わが国などでいう“コミュニティ・センター”と“欧州コミュニティ”との間に、どのような共通認識があるのかが問われる。

必ずしもここで、コミュニティの基礎理論を展開するつもりはない。

しかし、未来の都市をコミュニティという理念から照射するには、言葉のもつ意義を明らかにする必要がある。

コミュニティ概念の基本になるのは、その人間関係が、直接の触れ合いだということである。私はそれを三つの指標で理解する。

第一は、目で見る関係である。人間も含めて、すべての動物は、目によって、おたがいを認識する。その目は極めて短い時間に、相手が仲間であるか、敵であるかを識別する。それは人間の場合において極めて高い精度で作動する。

第二は、意味のある言葉を内容とした声を出すことである。声はそれが共通の指標でなければならない。鳥獣でもそれぞれの鳴き声によって、相手を理解する。人間は、言葉を多数・多様に駆使して、発声の内容を豊富にする。

第三は、人間は、その生まれた地球の土の上に“立つ”ことである。それまでハイハイをつづけてきた赤ん坊が、ある日突然立ち上がって歩く。そのときの得意な顔付きは、何万年も前に動物が立上りを体得したときの“栄光”に似ている。その立上りを、生涯つづける。よくしっかりした人生を歩いているのを“足が地に着いている”という。その意味は人間が地上にしっかり立っているだけをいうのではない。生活が安定していることにつながる。

以上の“目のとどく限り、声の及ぶところ、そして足の踏む範囲”これがコミュニティの原点と考え、そしてそれらの機能が集約されて、“定住”“居住”という人間集団の原点が生まれる。

「磯村英一都市論集III-IX日本の都市社会の未来像」より抜粋

「磯村英一都市論集III-VIII 人間回復のまちづくり理論」.pdf