2)序 人間回復のまちづくり理論

序 人間回復のまちづくり理論

一 まちづくりの三つの側面

最近“まちづくり”という仮名文字の表現が使われるようになった。

これまでまちづくりなどといえば、都市計画、それを具体的に担当するのは建築か土木の技術、だから広い意味のまちづくりも、この分野での技術の独占がつづけられてきた。

たしかに、まちづくりは設計と建築の仕事である。その代表的な現れは“都市”、まさに建物の密集である。しかしその都市という構造も、近寄ってみれば、人間が生活している。人間なくして都市などはありえない。

最近、住宅・都市整備公団が、東京の近県に巨大な住宅団地をつくった。称して“ニュータウン”。三○万の人口を定着させる計画だったが交通の問題もあって、一部は空家の群、まさに“ゴーストタウン”、人間なきところに“まち”などありえない。

しかしこの人間の集積も、単なる“群”ではない。そこには生活のルールがあり組織がある。“まち”とは、この人間生活の組織なのである。私は、まちづくりの三つの側面をこの、構造・人間・組織におく。

(一)まちづくりの構造とは何か

最近まちづくりの新しい形として“テクノポリス”といった構想が語られる。先端技術を機能的に集約して、人間の集団生活のアメニティにしようとする。国民の八〇%をこえる住民が“中産階級”という日本の社会、それこそ“技術者たち”が考えそうな構想である。

しかし、そのような技術進歩には、当然変化がある。日本が昭和四〇年代の“国づくり”の目標とした「新産業都市」は、今日どのような姿になっているだろうか。“コンビナート”といえば、都市計画のシンボルだったのだが、今日では火が消えている。公害センターにさえなっている。その原因は何かといえば、企業独占のまちづくりには限界があるということである。

まちづくりを“専門”とする人びとも、単なる技術者・職人としての存在では許されなくなりつつある。まち・都市づくりは、断じて博覧会の会場ではない。その土地には、歴史と伝統があり、人間生活の文化がある。それに根ざさない計画は、バベルの塔を築くに等しい。

(二)構造は組織の表現である

人間は何らかの形で、集団をつくり、組織をもつ。人間は“社会的動物”だといわれるゆえんである。

その代表的なのは、家族・家庭・世帯等で表現される組織である。人間にとってこの“本能”に根を下ろしている組織は、重要である。それは住居・住宅という形式で表現される。

まちづくりのなかで、“住宅”は、もっとも大きな役割をもつ。しかしその住宅の理想は、

それぞれの家族集団として現代の好みに応じられる構造だということになる。“狭いながらも楽しいわが家”というのは、家族という組織の関係の紐帯の強さであり、それは、たとえ、一部屋の住まいであっても優れていることを物語っている。

人間の働く職場の組織は、それにふさわしい職場の構築を要求する構造や職場集団のニーズによって異なる。重要なのは、職場という空間を必要とする人間のニーズであって、結果としての構造そのものではない。

しかも人間は、自らの人間の組織集団の能力によって構築される空間を“文化”として評価する。それは、構築の技術が、多数の人間の生活創造の意欲にマッチしたときに出現する。この点では人間は、構築の技術をまちづくりのシンボルとして認めるかどうかの“選択権”を持つ。

たとえば、京都駅前にある京都タワーは、建築物としては優れているかも知れないが、京都市民が多年にわたって培ってきた集団の文化を代表するものではない。あの塔は京都という地域集団の組織にとtってはマイナスの構築である。

(三)人間はまちづくりを創造する

人間の生活ほど、多種多様なものはない。家族・家庭の生活の態様が同じということはない。”千差万別“という言葉の通りである。しかし、その区別のある生活の接触のなかに、なんらかのもが創造される。それは建物の構造の是非では断じてない。

たしかにまちづくりには、共同生活の基準としての構築の条件がある。その最低の基準は守られなければならないが、一定基準のものの強制は、まちづくりの人間性に沿うものではない。この点で人間の集団生活を構築の面で現した“団地住宅”は、決してまちづくりのシンボルとなるとは考えられない。

それでは人間の無数の個性を表現するようなまちづくりは不可能ではないか、といわれるかも知れないが、私は“可能”と答える。

ベルギーの首都、ブリュッセルの町にある“小便小僧”の構築は、ブリュッセルの“まち”だという象徴である。そこに住む人びとだけではない。訪れる人びとも、その小さな構築に、ブリュッセルという共感をもつ。まちづくりには、このような視点が大切である。

※「磯村英一都市論集III」掲載にあたって>>