10) 二 都市住民の水平的移動
二 都市住民の水平的移動
都市社会を形成する住民が、その性格を変えていることは重要である。その意味は、“住民”といえば、一定の地域に定着することを意味する。しかし都市の住民の大部分は、事実定着していない。
都市化は、住居と職場の分離といわれる。住民の大半は、一日の生活を職場で過ごす。当然地域社会での生活が少なくなる。職場の仕事は昼間となる。そうなると都市社会の現象は、「昼間の都市と夜間の都市」という二つの二重構造としてみる必要がある。しかもこの住民の水平的移動によってつくられる地域形成の傾向は、さらに次のように分析される。
第一は、定時的な水平移動である。これは一般的移動と区別して“流動”という。つまり通勤・通学など、都市住民が毎日必ず同じ流れを示す傾向である。別の名でいえば“職場社会”である。
人間は、その長い発展の歴史の中で、直接に接触することによってその判断を行ってきている。したがって、都市が多数の人間の定時的集会の場所となることは、それによって、人間社会の“進歩”が促進されることになる。
第二、しかしこの職場は、最近テクノロジーの発達に伴って、その機能のなかに、人間関係を代行する“ロボット”が介在するようになりつつある。それは一般的には“管理社会”への移行ともなる。
この傾向を、都市の未来を研究対象とする自然科学者達は、その発展の“先端”に人間の頭脳に優るメカニズムの発達を予想する。その結果、人間の社会―それを代表する都市の社会―は、機械による管理社会に変容するのではないかと想定する。私はこの説には反対である。いかに高度の技術が発達しても、それを使用し決定するのは、“人間の判断”である。したがって、メカニズムの発達は、いっそう都市のなかでの人間の持つ役割を“高度の段階”に求めることになる。
第三は、たしかに技術の開発・進歩は、人間を、それらのメカニズムの管理下に置き、都市管理社会化は増進する。しかし人間はこの管理社会に対しては強く“自由”を求める。その結果増大するのが“大衆社会”の現象である。
ここで改めて“大衆社会”の意義を述べる考えはない。簡単にいえば、居住社会、職場社会のいずれにも属さない“集合社会”である。二一世紀の都市を構成する住民は、職場の人間から解放されて、レジャーやレクリエーションを楽しむ。
これまで、観衆・聴衆とともに“客”という名で呼ばれた状態の形成である。買物のための顧客、乗物の乗客、レジャーのための顧客等は、都市住民を家庭と職場から解放して、“第三の空間”を形成する。この空間こそは、都市の発展を色付けするもっとも重要な状態である。
第四に、しかし都市の人間は、この大衆という条件から“離脱”して“突然変異”を起こす。それが“会衆”“群集” “大衆”と呼ばれ、最近は“分衆”ともいう状態である。一般的には。“市民大衆”と呼ぶが、それは正しい表現ではない。市民と大衆とは別に考えなければならない。
ここにいう大衆・群衆・分衆は、特殊な条件が加わると人間としての本能を露出する。都市が災害・事件等によって“暴力の社会”になることは、管理社会としての構成と別に、都市が革命や暴動の場となることと無縁ではない。
1)磯村英一都市論集III – VIII 人間回復のまちづくり理論>>