16)第五 脱コミュニティの理論

第五 脱コミュニティの理論

一 都市の非コミュニティ化

最近の都市の発達は、人間の居住形態の原型ともいうべきコミュニティ的性格を崩壊させつつある。

(一)高速度時代の出現とコミュニティ

第一は、高速度交通機関の発達である。都市の産業機能は、職場がつくる中心地域の発展によってその個性が育成され、それが都市を支える重要な力となる。しかしその特性のあるエネルギーも、都市と都市とが接近することによって連動し、どちらかにその根拠を移動する。それは交通機関が高速度化するに従って激しくなる。

東海道新幹線開通までの、東海道沿線都市は、それぞれの個性によって発展してきた。しかし新幹線の開通で、相互の交流が時間的に短縮され、その機能の接触が始まり、都市そのもののメタボリズムが出現しつつある。比喩的な表現をすれば、“ヒカリ級”の都市と、“コダマ級”の都市に分かれ、その級外に置かれた都市、住民が多額の募金をしてでも、“コダマ級”の都市になろうとしている。それがどれだけ当該都市の振興にプラスするかは別の問題であるが。

すなわち都市問題の交通の高速化は、そこによほど個性のある都市機能―主として産業構造―が存在しない限り、高速化による外部からの侵入によって、コミュニティに不安と動揺を与える。同時にその都市の地域社会の産業は、良かれ悪しかれ強烈な刺激から摩擦にまで発展する。当然コミュニティも、変容を余儀なくされる。

二 情報化時代とコミュニティ

コミュニティを原型とする都市社会は、科学技術の進歩に伴って、次第にその姿を変えてゆく。その決定的なものは情報のメカニズムの発達である。

情報のメカニズムが、これまでの通信、交通などのコミュニケーション・システムと異なるのは、その伝達の速度が瞬間的であり、到達の範囲がグローバル(全地球的)なことである。別の表現をすれば、情報に関しては、やがて世界の大都市は一つの状態になるということである。

超高速の交通のメカニズムにも“時差”というがある。しかし情報の発達は、この時差もなくそうとしている。

すなわち世界の情報化は(一)それぞれの都市の内部を一点集中化し、(二)都市間の情報を単一化し、(三)世界の都市を一つの情報源におくことになる。

三 世界コミュニティへの移行

すなわち、情報のメカニズムに関する限り、全世界は一つの“エキュメノポリス”(世界都市)の状態に置かれる。人間は移動せずして、あらゆる情報を手にする可能性を、二一世紀に持とうとする。それでは、世界は、ニューヨーク・ロンドン・東京・パリといった大都市のうちの一つに集約されるかという問題となる。

これまでの叙述からすると、大都市はもはやコミュニティと呼ばれる空間ではないという実感がある。しかし、それをあえて呼びつづけるのは、非居住空間となるであろう大都市の都心地域は、文字通りの人間の住まない“ノーマンズ・ランド”または“ジャニターズ・ゾーン”(警備員の地域)となるのである。それでは、完全に人間不在となる。しかし都市は必ずしもそうとはならない。

最近“コンベンション・シティ”(会議都市)という言葉が使われる。都市の中心地域は、主として会議場となるということである。

東京都が、その庁舎を新宿に移すことを定め、その跡地に「国際フォーラム」をつくろうとしている。国際フォーラムは、国際会議などを開催する空間であり、都庁跡は完全な無人空間となる。しかしそれは“居住”に関してであり、フォーラム自体は昼夜を問わず“会議”が連続開催される。その会議はコミュニティの原点である“直接の対話”の役割を果たすものであり、“会議することは、創造すること”といったような新しいメリットが生まれる空間となるのである。

すなわち、これからの都市では、原型としてのコミュニティ的機能は居住関係の優先する地域社会に存続する。地方大都市の中心は、著しく非コミュニティ化するが、原点としてのコミュニティ的性格は、中心地域においてのコンベンション的機能のなかに見られると予測するものである。

四 都市の脱コミュニティ

戦後の日本の都市社会形成の理論のなかで、不動の地位を占めているといってもよいものに「コミュニティ理論」がある。最近では、単に形成理論だけでなく、“計画理論”にまで適用している。しかし、結果としてこの理論は、日本の社会全体についても“なじまない”。理由は、日本の都市形成の基盤そのものに、“タテ社会”の理論があるからである。コミュニティ論は、端的にいえば“ヨコ社会”の理論である。

ややもすれば単一民族と自負しがちな日本人が、島国という孤立した環境のなかでつくる社会体制は上下の関係を重視する。コミュニティは制度や区画によって形成されるものではない。いろいろな条件による人間関係のコンプレックス(複合体)による。そうなると、都市社会のように人間の移動性・流動性のはげしいところでは、固定した地域概念としてとらえることも難しくなる。

都市をコミュニティとして理解するのには条件がある。それは都市という地域空間を理論構築するときに、都市の人口の移動が、コミュニティを変容させるという認識である。

職住分離が、都市発展の指標となっていることはすでに述べた。たとえ職場と住居が離れるようになっても、それが“足”で連帯する(on foot relation)限り、コミュニティである。しかし、それが交通機関によって、ある程度の距離をもつようになると、コミュニティとはいえなくなる。

「磯村英一都市論集III-IX日本の都市社会の未来像」より抜粋

「磯村英一都市論集III-VIII 人間回復のまちづくり理論」.pdf